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ほろ酔いコラム

お酒を1献、2献と数えるのは、なぜ?

 ビールやワインを飲むときは、1杯、2杯と数えるのに、なぜお酒を飲むときは、「さあ、まずは1献……」などと、“献”を付けるのか? 昔々、貴族や武士が宴会を開くときには、山海の珍味を集めた贅沢なメニューが用意された。平安時代末期の『類聚雑要抄(るいじゅうざつようしょう)』という史料を見ると、崇徳天皇が仁和寺で競馬を観覧したときには、鮑や鯛、蛸、わたり蟹、鮭、唐菓子などを使った、1〜6の膳が出されたとある。コウノトリの生肉など、今ではとても手に入りそうもない幻の食材が振舞われたこともあったらしい。宴会では、銀製のスプーンや食器、お銚子が用いられたというから、さすがセレブのやることはスケールが違う。
 当然、宴会の主役になるのはお酒。原則として、1つの膳に1つのお酒があてがわれた(1膳1酒)。6つの膳なら、6種類以上のお酒を用意する。もてなす側は、その膳の料理にどんなお酒が合うのか、いちいち頭をひねらなければならない。その献立(膳)に合わせてお酒を出すことから、1献、2献と呼ばれるようになったわけだ。
 平安時代、関白太政大臣として権勢を誇った藤原道長の「御堂関白日記」などによれば、道長は大の宴会好きで、ほとんど毎晩のように天皇や貴族を招いては目を見張るようなご馳走を振舞っていたらしい。そのせいかどうかは分からないが、道長さんは、今はやりのメタポリック・シンドローム。日本史上、公式に認定された最古の糖尿病患者と言われているから、宴会もほどほどに……ネ。



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