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特集(2)わがまちの輝き見つけ隊 vol.23
 阪神なんば線の新たな結節点となる難波界隈では、新旧含めたまちの魅力が連携し合うことで「大阪の顔」にふさわしいまちの姿が出現しつつあります。
 今回は、ミナミのメインストリートともいえる「戎橋筋商店街」を運営する戎橋筋商店街振興組合が企画した「なんばの魅力体験ツアー」の模様を2回シリーズでご紹介しましょう。
   
ミナミの意外な魅力を探る「なんばの魅力体験ツアー」(その2)


◇親子で発見!「映画のまち体験コース」
 

 3つのコースの内、親子参加を条件にした「映画のまち体験コース」では、日本初の映画興行の地に誕生した、日本屈指のシネマコンプレックスのバックステージツアーと、映画の舞台や映画に縁の深いまちなかの隠れたスポットを探検する内容で実施されました。
 私達が参加した回では、「なんばマルイ」の道上さん、商店街事務局の山本さんが案内役を務めてくださいました。では、ツアーの内容を順番にご紹介しましょう。

(1)まずは戎橋から...
 江戸時代の初めに架けられて以来15回目の改修を終え、近代的なイメージに変身した戎橋の欄干に大阪戎橋ライオンズクラブと商店街が設置した銘板を眺め、「ブラックレイン」等の映画の舞台になったまちの変遷に想いを馳せました。
 ちなみに銘板の川柳の作者である岸本水府さんは、グリコの名コピー「ひとつぶ300メートル」で一世を風靡された方だそうです。

(2)戎橋筋商店街を歩く
 ミナミでは一番大きな商店街として知られる戎橋筋には、明治時代に創業されている老舗も多く、その店先をのぞくだけでも文化や伝統の重みが垣間見られるというものです。

(3)南地中筋(なんば新地)
 ハイボールで有名な「バー238(ふみや)」や「アラビヤ珈琲店」が並び、昼間はひっそりした通りで、この界隈は難波新地とよばれていたとのこと。かつての難波新地は、小説「夫婦善哉」でも柳吉が蝶子の隠し財産を友人と一緒にすっかり使い果たしたと書かれているように、さぞかし楽しく散在できる場所だったのでありましょう。
(4)法善寺横丁
 「夫婦善哉」であまりにも有名な法善寺とその周辺の路地です。苔むしたお不動さんに水をかけては祈りを捧げる人の列が途切れそうにないのを眺めながら、水を打った石畳と微かな香が薫る路地を散策しました。
 法善寺横丁は二度の火災を乗り越えて見事復活を果たし、今日も「肩ふれ合う、ほどよい狭さ」を守り続けています。火事の後アーケードを設置しては?との声もあったなか、「相合傘が似合うまちの風情を大事にしたい」という想いを貫いて、今日の趣が保たれているとのこと。近年は個人経営のミュージアムなどもオープンしている一方で、鰹たたき料理で有名な老舗が、創業時から家訓にしていた調理に使う茅が入手できずやむなく閉店する等の話題もありました。
(5)千日前国際シネマ
 このサイトの特集19号でもご紹介した「千日前国際シネマ」は、昭和31年に東映の封切り館としてオープンして以来、数多くの日本映画の名作を上映する大劇場として知られてきましたが、今年3月31日をもって惜しまれながらその歴史の幕を閉じてしまったものです。

(6)「三友倶楽部」創業の地
 東洋のハリウッド、帝国キネマの源流である「三友倶楽部」創業の地は、現在はよほど気をつけて探さないと見過ごしてしまいそうに小さな銘板が商店街のある柱に設置され、その面影を偲ぶことができます。
 明治30年頃千日前にできた活動写真館「三友倶楽部」は、明治末期に近江出身の青年によって連鎖劇(舞台上の実演と野外撮影の映画を組み合わせたもの)の製作・上演館として生まれ変わります。その後「帝国キネマ演芸」に発展し、大大阪の文化力発信の拠点として注目を集めることになりました。
 結果的にこの地は「大映」の源流の地となり、現在は大映の経営を受け継いだ角川映画とも縁をもつ場となっています。

(7)かつての娯楽の殿堂「楽天地」の跡地
 江戸時代の末には千日前は映画や演芸のメッカとなり、「楽天地」と呼ばれる娯楽の殿堂が建設されたのは大正3年のこと。劇場の他にスケートリンクやメリーゴーランド、展望施設等もある大正時代の大阪を代表するハイカラな名所だったとか。
 その後「楽天地」は、「大阪歌舞伎座」、「千日デパート」、「プランタンなんば」と姿を変え、現在「ビックカメラなんば店」となっています。
千日前が繁華街となる訳は、竹林寺と法善寺の「千日回向」を機に寺の周辺が人でにぎわい、やがて露店や見物小屋等が建っていったそうです。吉本興業創業者の吉本せいさんも、この地の潜在力に魅せられて、演芸興業を行ったのだとか。
 かつてのミナミには、大劇、歌舞伎座、中座、松竹座、浪花座、アシベ劇場、常盤座等多くの劇場や映画館が立ち並び、「大劇はOSK(大阪松竹歌劇団)のレビューショーでにぎわったそうです」といった説明を聞きながら、通りを進んでいきました。
かつての楽天地の姿は、以下のサイトで確認できます。
http://www.osaka-noren100.jp/engraving/vol07.html
(8)元精華小学校「精華小劇場」
 元精華小学校は、都心部の人口が減った影響を受けて小学校が統廃合されたことで廃校となり、現在は暫定利用として小劇場に再利用されています。
 「かつてはこの辺の商売人の子ども達はたいてい精華小に通っていましたが、商売人は朝に弱く、朝食を食べて来ることのない子ども達が多かったので、食堂で朝食を提供する珍しいサービスがあったくらいです」とのこと。
精華小劇場公式サイト
http://www.seikatheatre.net/yutoritomidori.html

(9)なんばマルイとTOHOシネマズなんば
 「なんばマルイ」は、明治21年にできた「南地演舞場」の跡地に建っています。ここでは明治30年にフランスのリュミエール兄弟制作による映画が有料で上映され、これが日本最初の映画興行と言われています。
 マルイビルのシネマコンプレックスへの専用エレベーター1階ホールには、「日本で最初にスクリーンに映された映画が人々の眼にふれたのは実に此の場所であった」と記されたブロンズ製の銘板が飾られています。

◇お待ちかねのバックステージツアーへ!
 

(10)シネマコンプレックスのバックステージツアー
 ここからが、シネマコンプレックスのバックステージツアーの始まりです。大人も子どもも一層瞳がキラキラ輝き、期待で胸一杯の状態で関係者専用通路を進みました。
 映写室では、女性技師の椿さんと横田支配人が一行を待ち受けて下さり、9つのスクリーンで上映する仕組みについて、詳しい説明を受けました。
 この映画館はスタジアム形式で、上層階にある1つの映写室から全自動で9つの映画が次々と上映される仕組みで、1日に6人の映写スタッフが担当しているとのことです。映写機から繰り出されるフィルムは、同時に巻取り機にかけられながら次回の上映に備えられていくわけですが、1作品分のフィルムの大きさや重量は半端なものではありません。
 ハイテク時代にあっては、映画も小さなディスクになって上映されるものと思っていたため、この様子はかなり衝撃的でありました。この驚きを伝えると、実は映写室には3台ほどフィルムを使用しないデジタル対応の映写機があり、いずれフィルムがデジタルシステムに淘汰されて行くであろうというお話しをうかがいました。
 フィルムには、レコードの溝のような仕組みがあり、ここに音声情報が内蔵されているのだとか。1秒間に24コマのフィルムが、一瞬停止を繰り返しながら映し出す映像は、約120分程度の映画では6〜7巻のフィルムが必要になるのだそうです。
 映写室の一角では、予告編や広告用フィルムを選択して繋いでいく作業も実演してくださり、帰りにお土産としてフィルム1コマいただいて帰ることができました。
 さて、その日に映写室で見学したのは「ドラえもん」の新作映画等で、帰りには映画招待券と劇場限定の「ドラえもん」ポップコーンBOXまでプレゼントしていただき、早速「ここで映画観て帰る!」と子どもも大喜びでした。
 
 こうしてツアーを終え、子どもの要望通り映画を観て、大満足の1日でありました。子どもは、映写機の仕組みに大変興味を感じたようで、映画の帰りに映写室のあたりを見上げては、「あそこで椿さんがお仕事してるんだね」と話していました。

 このような貴重な体験をし、また映画と縁の深いもうひとつのミナミの顔を満喫できるユニークなツアーは、子どもや修学旅行生にも貴重な学びの場を提供するものとして意義深いものになるはずです。
 同時に、商店街も独自の活性化に専心するだけでなく、まち全体としての発展を考えなければならない時代になったことを実感し、この試みが今後も様々な効果を生んでいくことを願っています。

 ○ えびすばし商店街公式サイト
(可愛い「えびたん」がお出迎えしてくれます)
http://www.ebisubashi.or.jp/top.html
   

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