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特集(2)わがまちの輝き見つけ隊 vol.19
 阪神なんば線でつながる大阪・ミナミエリアは、古くは道頓堀の劇場街「浪花五座」に始まり、さらには映画館興行発祥の地として知られ、現在でも数々の劇場や映画館が集積するまちとして、多くの人でにぎわっています。
 ただ、芝居や映画文化も技術の進歩や人々のライフスタイルの変化とともに大きく様変わりし、特に映画館においては再開発に伴って建設された大型商業ビル内にシネマコンプレックスが相次いで進出する一方で、経営難により老舗映画館の撤退が続く状況にあります。
 このような中、「昔懐かしいミナミの映画の灯」を守ろうとする市民活動も芽生えてきたものの、これを取り巻く事情はかなり厳しいようで、私たちが取材を行い記事をとりまとめている最中に、その対象となった館が休館を決定してしまうという悲しい現実を目の当たりにしてしまいました。
 今回は、「千日前国際シネマ」を守るファンクラブ活動をご紹介することで、消滅の危機に瀕するひとつのまちの輝きについて考えて頂きたいと思います。
   
ミナミの映画の灯よ、どうか消えないで!

◇「東洋のハリウッド」として栄えた大阪

 
 道頓堀は「食いだおれのまち」というイメージが全国的に定着していますが、もともとは演劇のまちとして発展し、これに付随して外食文化も発達した経緯をもつようです。
 ミナミの劇場文化の歴史は1615年道頓堀川の開削に始まり、10年後に南船場にあった芝居小屋が移築され、1652年に中座・角座・浪花座が、1684年には竹本座、1703年には豊竹座ができました。そこから東(江戸)は「江戸三座」、西(大坂)は弁天座・朝日座・角座・中座・浪花座(竹本座)をもって「浪花五座」と讃えられるような劇場文化のメッカとなっていったそうです。
 既に江戸中期には歌舞伎で知られる「回り舞台」や「せり」といったからくり技術も導入され、明治期になって1888年には歌舞練場としての「南地演舞場」が建設され、ここで1897年には、フランスのリュミール兄弟製作による映画(シネマトグラフ)が上映されました。これが日本で最初の映画興行といわれるものです。
 その後、1909年には大阪初の映画制作会社「三友倶楽部」(現・松竹)が今日の千日前商店街付近に設立され、大正中期から昭和初期にかけて、「東洋のハリウッド」と呼ばれた日本最大規模の帝国キネマ撮影所が長瀬(東大阪市)に建設されるなど、映画製作の拠点としても発展し、日本初の活動弁士を生みだし、映画解説本を初めて刊行したのも大阪の地であったと言われています。
 さらに1938年には「南街映画劇場」(東宝)が、1953年には「南街会館」がオープンし、その後も様々な映画館がミナミに生まれていったわけです。

◇60年余りの歴史を誇る千日前国際シネマ
 
 「千日前国際シネマ」は、1898年(昭和31年)に東映の封切り館としてオープンして以来数多くの日本映画の名作を贈り続けている大劇場として知られてきました。
 商店街に面した館への入口から見る限り、特にレトロな雰囲気を感じることもありませんが、ロビーに足を踏み入れると、有名ホテルか国際空港のようなシネコンのエントランスの雰囲気に慣れつつある目には、そこはまさしく異空間と言えるほどの存在感を放つものでした。
 とくにロビーの向こうに見える中庭には洋風の噴水がしつらえてあり、場内へはその中庭を通って入場する仕組みになっていました。劇場内の壁面にはかつての名画のポスターや広告が掲載され、重厚感のある扉やコンクリートの壁面、赤い布張りのシートを眺めていると、親に手を引かれて映画を見に出かけていた幼少の頃にタイムスリップしてしまうようでした。場内には、今ではほとんど見かけることのなくなった2階席が回廊式に設けられ、スクリーンに向かって角度をつけて座席が設置されている姿は、旧来の芝居小屋の設計をベースにした名残であるとのことでした。
 興行スタイルも各回毎に完全入替制をとるわけでなく、1作品の上映を終えると10分程度の休憩タイムが始まり、観客が自由にロビーや中庭で憩いながら次の回の上映を待つ昔ながらの映画館での過ごし方がそこでは当たり前のようにあるところが魅力的なのでした。
 しかし、近年はシネコンの進出により、「千日前OSスバル座」「道頓堀東映」「角座」といった老舗映画館が相次いで閉館に追い込まれ、のんびり半日近く映画館で過ごす余暇のスタイルも私たちの暮らしの中から失われつつあるようです。

◇ファンの力で劇場を守れ!
 
  そのような老舗映画館の苦境を知ったメディアプロデューサーの澤田隆治さんや南堀江のまちづくりに関与された能口仁宏さんら有志が、「ミナミの映画館文化の灯を消すな」と立ち上がったのが今年1月のこと。古き良き名画を当時の雰囲気のままで上映するスタイルを市民レベルで応援する「千日前シネマ倶楽部」(年会費5000円)が結成され、2月には大阪にゆかりのある京マチ子さんが出演する名画を連続上映する「京マチ子 名作映画まつり」が開催されました。
 引き続き第2弾イベントとしては、昭和日本のモダン映画監督として知られる「溝口健二 名作映画まつり」が開催されました。
 溝口監督作品は、映画史上「世界でもっとも美しい映画」として世界的に評判が高いにも関わらず、日本人が最も知らない監督作品であると言われています。
 そこで今回は溝口監督の没後50年特別企画として、「雨月物語」「山椒大夫」から「大阪物語」までの10作品を2月20日から3月25日にわたって上映する企画でした。
 特に「大阪物語」は大阪ゆかりの作家・井原西鶴の戯曲の数々に材を得て、溝口監督が原作を書き下ろしたにもかかわらず、撮影開始前に他界されてしまい、吉村公三郎監督がその意志を継いで完成させたというエピソードもあり、興味を惹かれて鑑賞し、大いに楽しめた作品でした。

◇最後の砦もついに休館へ


  こうして老舗映画館を守る活動ができてまだ間もない状況ですが、3月23日付けの新聞では、とうとう「千日前国際シネマ」も3月31日をもって休館を決定したことが報じられていました。同時期に最後の砦であった老舗映画館3館が休館を決めたことで、ミナミに残る映画館はシネコンのみ、という状況になってしまったとのことです。
 確かに今日のシネコンは、映画という一種のエンターティメントを楽しむ機能を徹底的に追求した快適な空間であるといえますが、同時に老舗映画館が語る「映画文化の歴史」や独特の雰囲気ある空間、「最新」「話題のヒット作」という冠のつかない名作を楽しめる環境も備えたまちこそが、「映画文化発祥の地・大阪」にふさわしいものと感じるのは間違いなのでしょうか?
 記事によると、「シネマ倶楽部」としては今後も名画を紹介する企画を検討中であり、館としての建替え計画等も当面は公表されていないことから、ぜひ常時興行ではなくとも何らかの映画の灯を点し続けてほしいという想いをこめて、この活動を陰ながら応援していきたいと感じています。
   
<ちょっと豆知識>

新・浪花五座とは?
 江戸期の「浪花五座」に代わって、今日名実ともに演劇界を代表する劇場を「新・浪花五座」と讃えようとする動きがあるのをご存じですか?
国立文楽劇場・松竹座・新歌舞伎座・なんばグランド花月・角座がこれにあたるそうです。
 かつて道頓堀には常時三〜八座の大劇場と複数の小劇場が存在し、そこから300年以上経過した今日でも同じ場所が劇場街であり続けていることが大きな価値であり、今後は阪神なんば線の貴重な資源になるはずです。


映画発祥の地の銘板
 日本で最初の映画が上映された「南地演舞場」は、現在の難波駅前の大型商業ビル「なんばマルイ」の場所に誕生したそうです。マルイの中にあるシネマコンプレックス専用エレベーターの1階ホールには、「日本で最初にスクリーンに映された映画が人々の眼にふれたのは実に此の場所であった」と記されたブロンズ製の銘板が飾られています。
<トクトク情報>

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 NPO法人「コミュニティシネマ大阪」では、大阪を根拠地に多様な映画・映像作品の上映、「おおさかシネマフェスティバル」の開催、ワークショップや講座の実施、映像作品や文献の収集・保存、および映像作品の制作・配給、さらに文化芸術全般のアートセンター活動に関する事業を展開されています。
 公式サイトでは、関西各地のシネマイベント情報も紹介されていますので、チェックして沿線のお出かけを楽しんでみてはいかがでしょうか?

 ○ NPO法人 コミュニティシネマ大阪
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