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1923年大阪市に生まれ、産経新聞社等の記者時代を経て作家となり、数々の歴史小説や随筆作品を残した司馬遼太郎さんは、東大阪市の自宅で執筆活動を続け、1996年2月12日に他界されるまで国内外で精力的に活動を続けられていたと聞きます。
特に「竜馬がゆく」「坂の上の雲」等の歴史小説だけでなく、随筆「風塵抄」「この国のかたち」「街道をゆく」にみられるように、日本という国、そして人間とは何かを問い続ける傍らで、自宅の菜の花や季節の草花を愛でて心を和ませておられたということです。
そんな司馬遼太郎さんの命日にはたくさんの菜の花が飾られ、「2.12菜の花忌」として各地のファンが功績を偲び、人柄に想いを馳せる日でもあります。
そこで今回は、阪神なんば線によって新たにつながる東大阪市の沿線における「菜の花ロードと菜の花忌」を2回シリーズでご紹介しましょう。 |
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◇「菜の花忌」を偲ぶ記念館の一日
2月3日の「菜の花ロード」の取材を終え、翌週の12日には「菜の花忌」のため司馬遼太郎記念館をめざしました。
あいにくこの日も冷たい雨が降り続けていましたが、駅前広場から記念館に続く「菜の花ロード」には淡い黄色の道筋がついて、こっちこっちと花々が誘ってくれているようでした。
閑静な住宅街の中にある記念館では、雨の中数人のボランティアさんがお迎え下さり、「今日は菜の花忌ですから、ゆっくりしていってくださいね」と優しい言葉をかけていただきました。
2001年にオープンした記念館は、司馬さんの自宅と隣接する市有地に安藤忠雄さんの設計により建設された建物で構成されています。敷地内には自宅書斎もそのままに展示されており、雑木風の中庭は司馬さんの愛した自然のままのたたずまいを感じることができました。
記念館は8,400件の個人や企業・団体の協力によって建設され、司馬遼太郎記念財団によって運営されています。
記念館に入ると、打ちっ放しのコンクリートの壁面にガラスを埋め込んだエントランスに通じる「ガラスの回廊」の足元に、菜の花を生けたたくさんのガラスの花瓶が並べられていました。
2008年の「菜の花忌」記念イベントは東京で開催されていたため、大阪の記念館への来場者は少なめであったそうですが、前日までは連休であったこともあり、多くの来場者でにぎわったそうです。
館の案内の方に聞くところによると、菜の花で美しく彩られる2月初旬は、一年でもかなり来場者が多い月であるとのことでした。
エントランスから地下1階に降りると、そこには司馬さんのもうひとつの書斎とも言えるような大書架が拡がっていました。ここは、床面から11mに及ぶ吹き抜け空間の壁面いっぱいに書架が設置されており、創作活動の参考にされた文献資料や自作の書、海外翻訳された書など2万冊を超える図書が展示保管されています。
これらの図書をざっと眺めるだけでも、各地の地図帳から辞書・辞典類、郷土史、演劇、落語といった芸術文化に関する本まで様々なジャンルに渡っており、豊富な文献資料に加えて緻密な調査をもとにしてこそあれほどリアルに歴史の登場人物が感じられるような作品を残されたのだということがうかがえるものでした。
ガラスケースには愛用のメガネ、万年筆、本棚の飾りに海外旅行で買い求められた愛らしい装飾品などが展示されていました。
この書架を抜けると、企画展示のコーナー、定期的に映像上映がなされているホールやカフェ、ショップコーナー等があり、物思いながらじっくりと時間を過ごすことのできる静かな空間となっています。
とりわけ感動したのは、「二十一世紀に生きる君たちへ」の全文が額に掲示されており、次代を担う子供達に向けた司馬さんの温かな眼差しが感じられるようでした。
大ぶりの花瓶に生けられた菜の花の束の甘い香りに包まれながらメッセージを黙読していると、あれこれ反省することも多いけれど、人間の良心や可能性を信じ、たかだかとした心を持って生きていこう!と明日への希望も湧き上がってきます。 |
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『ここに一般的な記念館の展示を期待して訪れると驚かれるかもしれませんね。私たちは「見る」記念館より「感じる」記念館をめざしています。ここに訪れる方が、落ち着いた空間のなかで何かを感じ、自由に思いを巡らせてもらえればよいのです。それが文化というものにつながるのではないでしょうか。館の理念の象徴的な存在が大書架と「二十一世紀に生きる君たちへ」の額です。意外に関東方面から訪れる方も多く、武蔵野の林の中に入ったようだ。司馬さんがそこにいるように感じます、という感想を伺ったこともあります。リピーターが多く、4〜5時間かけて考え事をしながら過ごす方もいらっしゃいますよ』と館長の上村洋行さん。
菜の花はいまが盛りです。ぜひまちなかの菜の花をたよりに記念館を訪れてみてください。
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