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特集(2)わがまちの輝き見つけ隊 vol.13
 1923年大阪市に生まれ、産経新聞社等の記者時代を経て作家となり、数々の歴史小説や随筆作品を残した司馬遼太郎さんは、東大阪市の自宅で執筆活動を続け、1996年2月12日に他界されるまで国内外で精力的に活動を続けられていたと聞きます。
 特に「竜馬がゆく」「坂の上の雲」等の歴史小説だけでなく、随筆「風塵抄」「この国のかたち」「街道をゆく」にみられるように、日本という国、そして人間とは何かを問い続ける傍らで、自宅の菜の花や季節の草花を愛でて心を和ませておられたということです。
 そんな司馬遼太郎さんの命日にはたくさんの菜の花が飾られ、「2.12菜の花忌」として各地のファンが功績を偲び、人柄に想いを馳せる日でもあります。
そこで今回は、阪神なんば線によって新たにつながる東大阪市の沿線における「菜の花ロードと菜の花忌」を2回シリーズでご紹介しましょう。
   
わがまちの黄色い絆 2.12菜の花忌・菜の花ロードを訪ねて(その1)
◇天国の司馬さんに届け!黄色い花の道

 毎年2月12日には、司馬さんの命日にちなんだ「菜の花忌」として全国から菜の花が送られ、大阪・東京交互で菜の花シンポジウムが実施されています。
 これに先がけて東大阪市八戸ノ里地区では、地域の人やボランティアが育てた菜の花で、司馬遼太郎記念館と最寄駅となる近鉄八戸ノ里駅を結ぶ通りやまちかどを美しく彩る活動が展開されました。

 菜の花のプランター設置作業にあたる2月3日(節分)は、あいにく全国的に雪模様で大阪では冷たい雨が降るなか、午前10時になるとボランティアの皆さんが布施高校グランドに集合し、用意したプランターを軽トラックに積んで運び出し、歩道脇やまちかどに設置する作業に精出されていました。
 今回集まったボランティアは、布施高校の生徒さんをはじめ八戸ノ里地区の町内会や記念館ボランティアスタッフをはじめとする全29団体の方々で、かなり幅広い年齢構成でしたが、黄色いジャンパーで装いを揃え、一致団結して和気藹々と作業を進めておられました。

 つつましやかな黄色の花のかたまりを揺らせ、やさしく人々の心を和ませてくれる菜の花...1996年2月に司馬さんが急逝され、その葬儀の場を一面の菜の花が埋め尽くした光景を新聞記事で見かけた記憶が思い出されます。
 その日以来、毎年命日には「菜の花忌」として、大阪・東京交互にシンポジウムや記念講演会が開催されています。そしてその会場周辺を彩るのが菜の花なのだそうです。
 2001年には全国各地の賛同者により記念館が建設され、翌年の「菜の花忌」にはたくさんの菜の花が館を彩ったとのこと。その後、「できれば周辺にも菜の花を咲かせることができたら...」という館の思いが通じ、2004年春には多くのボランティアによる「春一番に菜の花忌の会」が発足しました。
 この会を中心に「東大阪市を緑にする市民の会」も協賛して、菜の花の種が約2,900袋配布され、2007年の秋口から約2,000世帯の家庭や学校・団体で育成作業が開始されました。

 『わがまちでは菜の花の早咲き品種を用い、通常より早めに種まきを開始します。これは一足早い春を先取りし、和やかな気分になってもらいたいという記念館の願いでもあります。公道に設置されるプランターだけでも700〜850個になり、その他に民家の軒先や庭に植えられているものもあります。地域のふれあいが希薄化するなかで、公の場を花で彩ることをきっかけとして、自分の暮らすまちや近隣の人々への関心を持つようになれば、人が支え合って温かな交流を育めるようになるはずです。菜の花に「まちづくりの種」という役割も託してみたいと思ったのです。気候によって花の咲き具合は異なりますが、毎年3月末ぐらいまでは菜の花がまちを彩る姿を楽しんでいただけるはずです』と記念館館長の上村洋行さんから説明を受けました。
 
 「菜の花ロード」に並べられた菜の花を眺めていると、さりげなくそれぞれに個性が見受けられ、葉っぱの縮れたもの、茎の長短、盛りの花からまだ咲きかけのものなど様々で、その陰に日々世話を焼いてきた人々の姿を垣間見ることができるようでした。
 きっと天国の司馬さんも、冷たい雨に揺られながらもほのかな甘い香りを届けてくれるたおやかな菜の花と、これを大事に世話して道を彩る人々の姿を眺めながら、安らかに過ごしておられることでしょうね。

− ふり向けば、また咲いている 花三千 仏三千 − (記念館花供養碑より)


◇菜の花でつながる沿線のまち
 
  ところで司馬さんの作品の中で菜の花といえば、高田屋嘉兵衛をモデルにした「菜の花の沖」が知られています。
ちなみに全国の「菜の花ロード」を調べてみたところ、東大阪以外にも大潟村(秋田県)、大山(鳥取県)、館山(千葉県)等々全国に見所がたくさんあるなかで、やはり阪神間にもありました!
高田屋嘉兵衛の本店跡や顕彰碑のある神戸市兵庫区では、都市計画道路湊町線の愛称を公募により「菜の花ロード」とし、市民参加で緑化に取り組んでいるのだそうです。
 地元では「花育ては、まち育て、夢そだて」をテーマに、地域住民を中心に神戸市や独立行政法人都市再生機構職員、まちづくり専門家など多くの人たちが協働で沿道や地域の空き地を菜の花で埋め尽くす活動を展開されています。
司馬さんの愛した菜の花を絆として、沿線のまち同士が温かな交流を育んでいけるよう、「わがまちの輝き見つけ隊」としても陰ながら応援したいと思います。

 ○ 東大阪市を緑にする市民の会
http://www.higashiosaka-midorinokai.com/
 ○   兵庫区菜の花ロード
http://www.kobe2001.or.jp/
kyoudou_hyougo/hyougo008.htm
   
<ちょっと豆知識>
 阪神なんば線新駅周辺で司馬さんにゆかりのある場所と言えば、西長堀でしょう。
土佐稲荷神社(大阪市西区北堀江4-9-7)がある一帯は、幕末まで土佐藩大阪藩邸であったところで、坂本龍馬や岩崎弥太郎もここで過ごしたことがあるとか。
この近辺は高度経済成長とともに開発が進み、昭和32年には神社の隣に旧住宅公団(現:UR都市機構)が「西長堀アパート」という当時としては珍しい11階建てのマンモスアパートを建設しました。
このアパートに当時産経新聞記者であった司馬さんがお住まいだったそうです。
 時期的には東大阪市に転居される前のことで、ここで「竜馬がゆく」等の作品を執筆されていたそうです。
当時の資料によると、このアパートの賃料は大学卒初任給1.2〜1.3万円よりも高めの設定でしたが、1.9万円という最高家賃の住戸に人気が殺到して、かなりの申し込み倍率であったそうです。
 当初の入居者には著名人が多く、女優の森光子さん、作詞家の石浜恒夫さん、デザイナーの鴨居羊子さんら著名人がお住まいであったとか。
西長堀近辺へは、阪神なんば線が開通すれば「阪神桜川駅」が最寄駅となります。
   

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