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沿線のまちの意外なつながりにまつわるお話を中心に、連載コラム形式でご紹介していきます。
酒づくりの歴史や酒蔵のご紹介、酒に合うグルメやイベント情報など盛りだくさんに取り上げてみたいと思います。
沿線には、大人の社会学習にも使えるスポットが盛りだくさんなのです。

特集テーマ: お酒が醸す素晴らしき沿線文化

 西大阪延伸線でつながる沿線のまちには日本有数の酒蔵があり、酒造と人の営みにまつわる歴史の奥深さを感じさせてくれるエリアでもあります。そこで前回は、清酒発祥の地奈良の新企画バスツアー体験記をご紹介したものですが、今回はその補足編として日本酒の歴史を簡単に整理してみました。

   
日本酒の原点を訪ねて(その2.日本酒の歴史編)


 米の酒づくりのはじまり

  日本人と酒との関係は縄文時代中頃に始まり、当時は粟や稗を使った「雑穀酒」や「果実酒」が飲まれていたそうですが、米を利用した酒造りは、大陸から稲作技術が伝わった縄文時代後期に始まり、近畿や九州地方を中心に盛んであったとされています。
 この頃の酒造りは、穀類を口に入れてかみ砕き、唾液の酵素で糖化させたものを瓶で寝かせ、自然発酵させる「口噛み」と呼ばれる原始的な方法でつくられていました。これが、現在酒を醸造することを意味する「かもす」という言葉の語源となったそうです。
 神話では麗しい乙女が「口噛み」したとされ、この方法によって日本ではじめて酒をつくったのが「木花咲耶比売(このはなさくやひめ)」〔桜のように美しい姫の意〕であったとされています。
 こういう経緯を知ると、なんとなく日本人がなぜ桜と酒を愛するのかが、理解できるような気がします。

杜氏の祖


  現在、奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)では、毎年「醸造安全祈願祭」が催されていますが、この起源となったのが大神神社の摂社・活日神社に祀られている掌酒活日(さかびとのいくひ)の伝説です。
 日本書紀では、農業神・大物主命(おおものぬしのみこと)に酒を捧げ、豊穣と国家の繁栄を祈る行事を天皇が司り、掌酒活日がそのための酒をたった一夜にして醸したという言い伝えもあり、杜氏の祖として後の世に祀られるようになったということです。

にごり酒から清酒へ

  飛鳥から奈良時代になると、儀式や神に捧げる酒の余剰酒が巷の市に出回り、庶民の手に入るようになったということです。
 資料によると、主に酒を醸すのは神社の酒殿と呼ばれる場所で、当時の酒は麹菌の酵母を使った「白酒」や、これに木灰を加えて清澄した「黒酒」がありましたが、いわゆる「にごり酒」が主流を占め、今日の日本酒製造法とは違ったものであったそうです。
 飛鳥時代の遺跡として有名な「酒船石」(奈良県明日香村)は、その用途に諸説ありますが、地域の伝承には、儀式に用いるための酒づくりに利用されたという説がよく知られています。
 平安時代になると、貴族が政治の舞台で活躍するようになり、酒が遊興につきものとなっていきます。当時は「御酒」と呼び、酒造用の米をつくり、発酵した麹を濾過し、漉した酒を汲水代わりにして蒸米と麹を仕込み、これを数回繰り返してとろりとした「清酒(すみざけ)」をつくったと言われています。
 鎌倉時代になると酒造業者には特権が与えられ、この頃から各地に「酒屋」が生まれたとされています。

信長も家康も褒め称えた天下一の酒

  室町時代には、「天下一の酒」という誉れある呼び名がついた銘酒が生まれます。河内の「天野酒」、京都の「柳酒」、奈良の「南都諸白(なんともろはく)」がこれにあたり、「南都諸白」は「菩提泉(ぼだいせん)」、「山樽(やまのたる)」、「無上酒(むじょうしゅ)」〔これ以上上がないという意味〕とも呼ばれていたそうです。
 「南都諸白」が醸されたのは、菩提山川に近い正暦寺の付近で、まだ「にごり酒」が中心であった当時にして、まろやかに澄んだ美酒であったことが賞賛された理由であったということです。
 室町時代の酒造りは、「僧坊酒」と言い、お寺でお酒を造っていました。
 「南都諸白」は麹米と掛米の両方を精白して用い、「菩提もと」という酒母と良質の水で仕込まれました。資料によると、織田信長が徳川家康を安土に招き、盛大にもてなした時に飲まれた酒も「南都諸白」であったそうで、庶民はおいそれとは口にできない夢のような酒であったとか。
 これが「南都諸白」を醸した正暦寺が、日本酒発祥の地とされる由縁です。
奈良にこうした銘酒が生まれ、酒が愛されてきたわけは、たくさんの寺と酒好きの坊さんがいたことと、その後、淀・兵庫・堺などの港湾町や、京都・天王寺浜市・西宮などの門前町が急速に発達し、地の利の良さからあっという間に酒や酒造りの技が各地に広まっていったことが考えられます。
 その後、江戸時代になると酒造りの中心は、池田や伊丹へ移り、さらに灘五郷へと移っていき、発達した海運業により江戸に運ばれ、「灘の下り酒」としてもてはやされるようになっていったのでした。

500年の時を経て蘇る軌跡の酒の物語

  中世で大いにもてはやされた「南都諸白」でしたが、その後は廃れてしまい、現代になると資料から察するばかりの状況となっていたそうです。
 平成8年には、奈良県下の酒造会社15社が集まって「研究会」を発足させ、3年の試行錯誤を経て「菩提もと」が出来上がったのは、まさに軌跡のような出来事であったそうです。
 正暦寺の境内から採取された3000種もの菌から、厳しい自然条件の中でもアルコールの発酵を助ける正暦寺乳酸菌というものが発見され、蔵元各社が協力して正暦寺に泊まり込んで研究を重ねた結果、平成11年より「南都諸白」の遺伝子を現代に引き継ぐ「菩提もと清酒」が世に出されるようになったのでした。

 毎年10月には「正暦寺秋季大祭菩提もと清酒祭」も催され、安全祈願の後の試飲会では「菩提もと汁」がふるまわれています。

    
トクトク情報
日本酒の原点「菩提もと清酒」を味わおう

 「菩提もと清酒」を味わうとは、500年の時を経て蘇るロマンを味わうことでもあり ます。「菩提もと造り」とは製造工程で「生米」を使用することを特徴とし、美しい奈 良の地の水と土の恵みに加え、「正暦寺乳酸菌」・「正暦寺酵母」の働きを生かし、近代 醸造法を融合させた結果、どっしりとした力強い酒質に仕上がるとのことです。
 「菩提もと清酒」の全銘柄を味わうなら、「奈良ロイヤルホテル」がお勧めです。
 また、バスツアー体験記でご紹介した「清澄の里・粟」でも大和野菜と一緒に菩提泉 を味わうことができます。

◇奈良ロイヤルホテル
http://www.nara-royal.co.jp/bodaimoto/


正暦寺内に残る日本清酒発祥の地を記す碑


儀式に使う酒を醸したとされる酒船石


春日大社に名残を留める酒殿


伊丹にある清酒発祥の地碑
 「南都諸白」に次いで一世を風靡した「伊丹諸白」は、製造途中で誤って灰を入れてしまったことで、より澄んだ酒ができたと言われている


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